2015年8月4日 (高橋厩舎の日常)
8月2日の新潟競馬場はうだるような暑さの中、開催1週目、アイビスSDが行われ、たくさんの人が訪れていた。
その日は高橋厩舎からは3つの競馬場で7頭が出走予定だったから、ほとんどのスタッフが出払っていて、担当者の前村厩務員はいつものようにクラージュシチーと新潟へ。調教師も新潟でクラージュシチーを見守った。
午後2時頃、僕はテレビの前でワクワクしながらレースを見ていた。
ゲートが開いて良いスタートを切った。向こう正面を気持ちよさそうに走っているように見えた…
良い感じや、大丈夫! そう思った次の瞬間、急にトモを落とすような格好でズルズルとクラージュは下がっていった。
実況の「転倒した」という言葉に、一瞬で血の気が引いて、頭が真っ白になった。
「どうか、命だけは…」
そう思いながら、恐ろしい何かに心臓を掴まれているように、胸が締め付けられる思いがした。
少し経って、スタッフと攻め専(調教助手)に電話をしても、皆状態はわからなかったし、現場は電話ができる状態に無いと思うから、とりあえず待とうと話した。
午後5時過ぎー
JRAから正式に発表があった。
疾病を発症したため、向正面で転倒し競走を中止
右上腕骨々折 予後不良
一縷(いちる)の望みを持っていたけれど、「予後不良」の文字を見て言葉が出なかった。
骨折した右上腕骨の箇所は、レントゲンでも視えづらい複雑な部分で、予知することが難しい場所だった。
JRAからの発表後時間が経つにつれ、クラージュシチーとの想い出が頭の中を駆け巡っていった。
僕は、クラージュを眺めるのが大好きだった。
厩舎にいる間は、毎日馬房の前に立ち、じーっとクラージュを見つめていた。
「そんなに毎日見ても、急に良くならんで」
そう言って担当の前村厩務員は笑っていたけれど、クラージュが放牧に出ている間は引っ切り無しに、「今どんな感じや」「体重は何キロになった」「写真無いか?」「いつ帰ってくるんや?」と聞いてくるから「テキ(調教師)に聞いてください」と僕は笑っていた。
キラキラした琥珀色の馬体も、金色の鬣(たてがみ)も、鮮やかな流星や、真ん丸な優しい瞳も…
本当に大好きだった。
そう思ったのと同時に、やっぱり、担当である前村さんの事を思った。
去年の8月14日に入厩して、9月20日新潟でデビュー。
そこから阪神で勝ち上がり、東京、中山、小倉、と遠征してきた。
その間、いつも一緒だった。
「厩務員は勝っても負けてもいつも一緒に帰ってくるのに…」
「一人で帰ってくる前村さんの事を考えると…」
思えば今年の2月、小倉での競馬の前日に前村さんの父親が危篤だと連絡が入った。
調教師は栗東に戻ってくるように伝えたが、
「クラージュは俺の担当馬やから。だから競馬終わるまでは全部自分がやる」
そう言って担当者は、頑なに帰ることを拒んだ。
結果は悔しい2着だったけれど、クラージュは一生懸命走ってくれた。
「力はある、けどこれが今の実力や…。」
「このまま走っても500万クラスならすぐ勝ち上がるやろ。クラシックも出れるかもしれん。けど、将来のことを考えたら今、無理させたらアカン。」
体はギリギリだったし、背中の痛みが中々取れなかった。2月の栗東はまだまだ寒く、筋肉がこわばって体が硬くなったらもっと背中を痛めるかもれない。それは走り方にも影響するし、それだけは避けたかった。
先生とスタッフとで出した答えは長期の放牧。
牡馬クラシックに所属馬を送り出したことがなかったから、やはりそれは苦渋の決断だった。
「暖かい場所でゆっくりと成長を促す。気性的にも大人に、そして乗り易くする」
そういった目標を持って、信頼する宮崎のサンダンスEEにクラージュシチーをお願いした。
先生は頻繁に宮崎まで馬を見に行っていたし、牧場スタッフも一生懸命クラージュのケアをしてくれた。定期的に立ち姿の写真を撮ってくれ、調教メニューや馬体重をパソコン上で共有しながら状態を確認していた。
じっくりと調整して態勢が整った7月9日にクラージュは帰厩した。
帰厩して2週間ほど経ったある日、トレセン近くの料理屋で前村さんと一緒に食事をした。
「ええ体になって帰ってきたで」「まずは、じっくり調整して背中の筋肉を付けてあげなあかん。すぐ背中痛めるから」「体重は気にせんでええ。絞ろうと思ったらすぐに落ちる」「クラージュはな……、 クラージュはな…… 」
お酒で上機嫌になったベテランの担当者は、自慢の息子の話をしているように楽しそうだった。
それからのクラージュシチーの状態は日に日に良くなっていった。
「8分~ぐらいのデキで競馬に行けたらええやろ。ここを目標にしてる馬とちゃうから」
秋以降には大きいところを… スタッフもみんなそんな青写真を描いていた。
8月2日の競馬では新しいクラージュシチーを見せられる、そんな舞台になるはずだった…。
ホースマンとして生きる以上、現実的に必ず起こりうる事故だと頭では理解していたけれど…
クラージュがいた馬房の前に立つと、今でもひょっこり顔を出してくれるような気がしてやっぱりまだまだ気持ちを整理するのに時間が掛かると思う。。
それはきっとたくさんのメッセージをくれたファンの方や、クラージュシチーの会員の皆さんも同じだと思う。
サラブレッドの命の尊さや競馬の難しさを改めて感じ考えたし、残念な出来事だと簡単には言えないけれど、、きっと時間は掛かるけれど、「クラージュシチーという馬がいたから」と胸を張ってクラージュに報告できるように今後も真摯に真剣に馬と向き合っていきたい。
最後に
本当にクラージュはファンが多い馬でした。皆さんが彼を愛しているように、僕たちスタッフもクラージュを愛していました。
サラブレッドは文字通り、命を懸けて競馬で走っています。
クラージュシチーという馬がいたことを調教師はじめ、スタッフ一同決して忘れることはありません。たくさんのことを学ばさせて頂きました。初めて牡馬クラシックも意識した馬でした。
長期間休ませての復帰戦での故障に納得がいかない方もおられるのは重々承知しております。
ブログを見て、気に食わない方もおられると思います。
けれども厩舎スタッフや牧場関係者は「競走馬をつくる」という事に命を懸けて向き合っています。
競馬という素晴らしいスポーツをたくさんの人に知ってもらえるよう、そして感動をあたえられるように、これからも真剣に日々の仕事に取り組んでいく決意です。
末筆となりましたが、クラージュシチーを応援して下さったすべてのファンの皆様、そして友駿ホースクラブの関係者の皆様に心より御礼申し上げます。
武田